第1270号
2008年6月10日(火曜日)発行
私の視点
澤地久枝
きしむ音
五月早々に夏日になるかと思えば、梅雨寒(つゆざむ)どころではなく冷えこむ日も来る。こうして段々に感覚はにぶくなってゆき、一方、確実に環境の破壊は進んでゆくのであろう。
最終の警告を聞きとるときは、地球の危機はとりかえしのつかないところまで達しているのではないか。
それはいつ?と問う前に、そういう日に出合わないための努力こそが求められているのではないかと思う。
ミャンマーのサイクロン被害、中国四川省の大地震の報にわたしは予告を感じる。人は本来楽天的な生きものであり、それゆえに生きているともいえるけれど、政治だけではなく、社会生活全体がきしんで、いやな音をたてつづけていると感じる。不気味だ。
五月はスケジュールの過密な月で、一日、二日と、群馬県川原湯温泉八ツ場(やんば)ダムの建設予定地へ。翌三日は滋賀県九条の会で大津市だった。ダム建設は完成予定日がくりのべになって、住む人たちは何十年も宙ぶらりんになったままだ。
駅前のしだれ桜は落花がはじまる寸前で、大きな樹をおおう薄紅色の花びらはみごとだった。
「石仏をぜひ見せたい」という加藤登紀子さんの意に反し、二十体ほどの石仏はすでに移されてしまい、土にセメントを吹きつけた「岩」の下に並べられていた。
石仏撤去のあとは、ざっくり土が削られたままの姿で、そこに水に沈む無縁仏の墓石がつみかさねられている。その一つには、「陸軍上等兵○○○」と姓名が刻まれ、建立者は母か妻か、女名前だった。没年は昭和十九年、「南方海上で戦死」とあるから、沈没した輸送船とともに亡くなったのであろう。
くせのないなめらかな温泉に恵まれ、昔ながらの美しい渓谷に、無残なほど巨大かつ醜悪な鉄柱が立っている。ダムの水中に沈む支柱であるという。なんとも異様な光景だった。
八ツ場ダムははじめ、都市圏の水がめとして建設がきまり、いまは水を必要とせず、水力発電所用ダムへの変更が論じられている。
人びとの生活を奪い、自然を復元不能なところまでこわし、プランは留保のまま付帯設備建設の工事はすすんでいて、トラックが往来する。誰が責任をとるのだろうか。これは八ツ場ダム限りのことではあるまい。
日本列島は昔日の面影を失い、かわりにわたしたちはなにを得たのか、と思う。(作家)