第1227号
2007年2月20日(火曜日)発行
こんにちは
反骨の川柳作家一叩人(いっこうじん)の作品
養父の川柳・評論を本に
命尾(めいお)かよさん(目黒呑川支部)
命尾かよさんが編集協力をして『鳩になった川柳人一叩人作品集』(川崎五郎編西田書店刊)が出版されました。
反骨の川柳作家、一叩人は本名、命尾小太郎、鶴彬(つるあきら)の研究家です。鶴彬は一九三八年、二十九歳で拷問のため獄中死した反戦川柳作家。「手と足をもいだ丸太にしてかえし」が有名です。
かよさんは一叩人夫妻の養女です。長野県豊丘村出身、中学卒業後すぐ上京し、東京共済病院の看護婦養成所に入所、四十二年間、看護婦として働いてきました。
「はたちの頃『うちの子にならないか』といわれて命尾家の養女になりました。養父の入院中、つきそっていた後輩と一緒に家庭訪問して、話し合ううちに気が合って」
養母の静江さんと性格も顔立ちも似ているといわれ、ずっと病院の寮でくらしながら近くの養父母の家に毎日通い、食事を共にする家族でした。
「養父母の家は四畳半と三畳のアパートで一緒には住めませんでした」
二十二歳の時「父の家に出入りしていた男性にプロポーズされましたが結婚に踏みきれませんでした。ちっともときめかなかったし、父の方がずっと魅力的でしたから」
一叩人は『昭和・遠い日近い人』(澤地久枝著)に「小柄でしょうしゃな老紳士は、きわめてものやわらかな人物だが、意志は鋼を思わせる」と書かれています。一叩人の父親は漢詩人、先祖は江戸時代の狂歌師・宿屋飯盛(やどやのめしもり)の弟子で国文学者の小林幹有。「父がペンネームをつけてくれました。母が『一人静』で私が『二人静』。でも母も私も川柳は全くだめでしたね」
養父は一九九九年に、養母は二〇〇五年に亡くなりました。二人を介護して見送り、「残されたのはおびただしい川柳と川柳誌、雑誌。それと立派なお墓だけ。給料は袋ごと渡していましたが、『ありがとうとはいわないよ』という父でした。亡くなる前には『すまないね』ともいっていましたが、句集はいらないといっていた父の川柳や評論を本にしたことには、なんていうでしょうね」
一叩人の句は現在只今にぴったりです。「まだ本音吐き出しきれず又失言」「国民に明かせば首の飛ぶ秘密」「頭(ず)が高い主権我等にあると知れ」「天皇に生命取られてまだ拝み」「靖国は貧乏くじの捨てどころ」