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第1223号

2007年1月1日(月曜日)発行

婦人民主クラブと共に60年
婦民顧問 津上英子さんに聞く

埼玉県熊谷市は敗戦の前日、八月十四日に空襲され、焼け野原になりました。熊谷市に住んでいた津上英子さんは当時二十二歳。翌年三月十六日東京で「民主婦人大会」があり、名前しか知らなかった有名婦人の講演が聞けると、戦前からの活動家だったいとこの松崎浜子さんに教えられ、駅に並んで東京ゆきの切符を手に入れました。

「会場の神田共立講堂には二重三重の行列ができていて、もちろん私は立ちっぱなしの参加。それが婦人民主クラブの結成大会で、話はよくわからなかったのに、ものすごく感激して、その場で入会を申し込んでしまったの」

その後、神奈川県川崎市に住み、工場地帯に次々とできる労働組合にでかけ、洋裁を教えながら婦人部を組織し、婦民の新聞を広げました。組織部長や書記長を歴任、諸運動の牽引力となり、婦民の顔として力いっぱい活動してきました。

「だから一九七〇年の二十四回大会での分裂攻撃は、くやしくて腹が立って今でも夢を見ます。私たちがあの暴挙を許さず、再建の道を選んだことは正しかったと思っています。再建の三十六年は長かったけれど、名称を回復できてほんとうにうれしい。六十年、婦民婦民で生きてきて、私もまだまだがんばれると思っているんですよ」


不当な「除名・解散」を強行した中央委員に抗議(1970年6月6日・左端)

―婦人民主クラブ創立60周年記念―
台湾の歴史と文化を訪ねる旅 広島支部


霧社事件のリーダー、モーナ・ルーダオ像を囲んで

婦人民主クラブ創立六十周年記念企画として広島支部が取り組んだ台湾旅行は、参加者十六名、それぞれに見聞・体験を広め深め、目一杯楽しんで無事帰国しました。十一月十四日出発、四泊五日の旅でした。

動乱に翻弄されし台湾の歴史に疎(うと)きは我のみや否や友垣に今度(こたび)の足跡語らんか台湾の歴史(ふみ)台湾の美味

三時間の空の旅で十二時前に台北着。二階式大型バスで一路台中へ。黄金色の弥勒大仏像で有名な宝覚寺、孔子と弟子七十二人を祀る中国風建築の孔子廟をみて日月潭に向かう。

翌十五日は、台湾八景のひとつ、ダム湖日月潭を半周、三蔵法師を祀る玄奬寺、孔子や武聖関公を祀る文武廟に立ち寄った後、霧社に向かう。車中で松崎徹先生に霧社事件(一九三〇年)のお話をきく。

高い峰の連らなる高山の村、霧社。日本統治下で起きた原住民による抗日蜂起事件のリーダーの墓と蜂起に参加した人々の記念碑を前に胸が痛む。

十六日、この日のメインは台湾を代表する景勝地・太魯閣渓谷の見学。小さな島台湾がもつ壮大な自然に感動。午後、空路にて台北へ。故蒋介石総統を記念する中正紀念堂などを観光。台湾料理を囲んだ後、士林夜市にくりだす。

十七日、『台湾革命』の著者、柳本通彦さんお薦めの芝山岩は台湾植民教育発祥の地。現地人の抵抗に遭って殺された六人の受難教師の墓と、台湾植民教育に骨を埋めた日本人教師たちの慰霊碑がある。

二二八記念館には、一九四七年の中国国民党政府軍に対する台湾人の反乱事件に関する資料や写真が展示され、昨年の婦民講座できいた「犬去りて豚来たる」を想起。帰路の車中で相良カヨさんから「婦民の六十年」を十五分で話していただく。夜は京劇鑑賞。

十八日、あっという間に最終日。抗日戦争などで戦死した約三十三万人の国民党政府の将兵が祀られる忠烈祠に寄って、故宮博物院へ。予定の時間ではとても見切れない。中国の歴代皇帝が集めたコレクションのすごさをかいま見た思い。

『婦民広島支部の「アジアの歴史に学ぶ」旅は/新たに知り合えた識者たちも含め/有意義で愉快な四泊五日だった/三本足になる前に、もう一度学びの旅を……/今夜は梅入りの紹興酒で乾杯だ!謝々婦民!』

(文中の短歌は竹添田美子さん、詩は三川浩子さんの「玉蘭花(ゆうらんほぁ)」から)

(平野節子)

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