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第1221号

2006年12月10日(日曜日)発行

こんにちは
悲惨な戦争の歴史を忘れないで


シンガポール「聯合早報」東京特派員
符祝慧さん(フーチュウウェイ)

シンガポールはアジア太平洋戦争で日本に侵略され、その占領時代(一九四二〜四五)、「昭南島」と呼ばれた国でした。符さんは戦争で過酷な体験をしたお祖母さんのことから話しはじめました。

日本軍が海南島(中国南方の島)に侵攻した時、お祖母さんはその島に、教師の夫と娘一人と共に暮らしていました。夫に背負われて逃げましたが日本軍に遭遇、夫はお祖母さんを草の中に隠し、自分は逃げきれずに殺されました。

「実は祖母は祖父の二度目のつれあいで、私とは血のつながりはありません。でも私をかわいがってくれました」

符さんの日本留学に一番反対したのも、このお祖母さんでした。その時、家族にも話したことのなかった自分の過去を語ってくれたのです。

日本軍がシンガポールを占領したのは、一九四二年二月十五日。その直後から「抗日」を理由とした華僑への「粛清」が始まりました。数はシンガポール側の推定で四万とも五万ともいわれます。日本軍の布告で集結させられ、憲兵などの検問で選別されて海岸で射殺されたといいます。

「父も、六人のおばたちも、私の日本留学を心配しました。日本は『こわい国』だというのです。四二年、父を生んで間もなかった父の実母は占領下、栄養失調で亡くなりました」

家族には反対されましたが、符さんは日本の同世代の人たちと出会うのが楽しみでした。ところが大学の友人たちが、自国の侵略の歴史をほとんど知らないことにショックを受けました。

日本で放送やメディアについて学んだ符さんは大学を卒業してシンガポールに帰り、ディレクターとして「湾岸戦争」の番組を制作。大学院に入るためと結婚するために再来日。日本では国会でPKO(国連平和維持活動)協力法が盛んに論議されていました。「こわい」と思いました。

「私には二人の子どもがいます。入学式や卒業式で私が日の丸の前に立つことを、日本人の夫はとても心配しています。日の丸は侵略のシンボルでしたから」

符さんは、憲法も教育基本法も非常に大切に思っています。「日本が平和な国であってほしいと願っています」(「平和の学びの場・コラボ21」での発言から)

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