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第1214号

2006年9月30日(土曜日)発行

ドキュメンタリー映画
「蟻(アリ)の兵隊」が描いたもの

九月十五日、東京・文京区内で、いま話題のドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」(池谷薫監督)の上映会が開かれ、参加者に大きな感動を与えました。上映後、池谷薫監督と山田朗さん(明治大学教授)の対談が行なわれました。主催は映画人九条の会。

なぜ日本軍は残留したのか
元兵士が追及する戦争の真実

山田:日中の歴史認識のずれがよくいわれますが、日本の側に日中戦争の記憶が希薄化している傾向がありますね。監督は中国残留兵士というかなり特殊な問題を、どんなきっかけで映画にと思われたのですか。

池谷:前作の「延安の娘」(文化大革命を背景にしたドキュメンタリー)の上映会で、戦後中国に残留した人たちのことを知ったんです。最初は共産党側に協力した方たちを描くつもりで日中友好関係の方に相談したところ一通の手紙を渡されました。それが裁判の傍聴を依頼する奥村和一さんの手紙でした。この時はじめて日本軍の中国残留という問題を知ったんです。ほとんどの日本人が知らなかった問題ですよね。

山田:奥村さんは残留問題を追及しようと何度も中国へ足を運びます。そこで見たものは日本の侵略戦争の実態と、それに自分も関与していたという事実でした。奥村さんがすごいのは、そこを逃げないで正面から向き合うところですね。

池谷:撮影前にたびたび奥村さんの話を聞きました。ある日、初年兵教育で中国人を刺殺したという話になるんです。「その現場に行ってみませんか」というと「行かなければいけない所だと思っている」というんですね。映画を作ろうと思ったのはこの時です。奥村和一という一人の人間を撮り続けることで、戦争が持つ被害と加害の両面が見えてくると思いました。

山田:中国戦線は広大でしたから、人によってずい分受けているイメージが違います。しかし奥村さんのような中国人刺殺は、新兵を一人前にするとして当時、当たり前にやらせていたといいますね。

池谷:やはりそれは本人にとっては忘れられないことですよね。ところが映画で、その奥村さんが「日本兵」にもどってしまう場面があります。思わず自分の殺人を正当化してしまう場面が。奥村さん本人は、その時に日本兵に戻ってしまった自分に気づいていませんでした。本当に戦争とは一人の人間にとって死ぬまでついてまわるのだということを、奥村さんは身をもって教えてくれたんだと思います。

山田:戦争はその人を一生涯拘束しますね。たとえば当時作戦参謀だった宮崎さんは九十歳を過ぎて寝たきりの状態で、残留をやめさせることのできなかった無念を吠えるような叫び声で伝えていましたね。

池谷:映画が完成して最初に思ったのは「間に合った」ということでした。これは奥村さんの遺言なんですよ。今の世の中が、自分たちが戦争にもっていかれた時と、すごく似ているというんです。奥村さんたちの裁判は、後に続く者のために、間違った歴史を残してはいけないと思ってやっているわけです。去年の九月、最高裁で敗訴しますが、奥村さんはまだあきらめていません。今度、機会があったら応援してください。


かつての「戦場」に立つ奥村さん(中国山西省)


池谷監督(左)と山田朗さん

あらすじ

敗戦当時、中国山西省に駐屯していた北支派遣軍第一軍の将兵約五万九千人のうち約二千六百人は、その後も武装解除を受けることなく残留し中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお四年間共産軍と戦い約五百五十人が戦死、七百人以上が捕虜となりました。当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし、祖国日本の復興を名目に残留を画策したとされます。しかし日本政府は、勝手に残留して軍閥の傭兵になったのだとみなし、旧軍人としての補償や恩給の対象からはいっさい除外。これに対して、すでに八十歳をこえた生き残りの人々が裁判を続けています。

映画の冒頭は靖国神社。「お参りはしません。国にとられて死んだ人間は神ではありません。そういうごまかしは許さない」と、元残留兵士の奥村和一さんが語る場面から始まります。

奥村さんは一九二四(大正十三)年、雑貨商の長男として新潟県に生まれました。四四年、徴兵され北支へ。山西省で敗戦を迎えますが残留を命じられ、日本軍部隊の一員として戦争を続行、砲弾の直撃で重傷を負い、今も体内に無数の砲弾の破片が残っています。

その後、共産軍の捕虜となり、五四年、ようやく帰国。しかし故郷新潟で待っていたのは、終戦翌年、すでに軍籍を抹消されていたという衝撃の事実でした。

「自分たちは、なぜ残留させられたのか」真実を明らかにするために奥村さんは中国に通いつづけます。そして奥村さんは心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶と正面から向き合うことに。それは初年兵教育の名のもとに命じられた中国人刺殺の記憶でした。奥村さんは戦争被害者であり加害者でもある自分を自覚することになります。(東京・渋谷イメージフォーラム、大阪・第七芸術劇で上映中)

公式ホームページhttp://www.arinoheitai.com/

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