第1207号
2006年7月10日(月曜日)発行
南の島の遺骨収集の話を聞く
戦争は終わっていない
東京都支部協議会では六月二十九日、杉並区の阿佐ヶ谷地域区民センターで六月例会を開き、元教員で毒ガス被害者をサポートする会の矢口仁也さんに「南の島の戦争はまだ終わっていない」と題して遺骨収集のお話を聞きました。
矢口さんは昭和十八年十二月、学徒動員として召集され、四隻の船団で宇品港からフィリピンへ向かいました。船中の極端な窮屈さと不潔さのために八人が死亡。米潜水艦の追跡を振り切ってセブ島に到着。三か月の訓練の後、幹部候補生の試験に合格し、船舶予備士官学校に入学するため再び危険な海を渡って帰国。しかし戦場に残った将兵はほとんど餓死しました。
矢口さんは、そのセブ島と西ニューギニア(インドネシア領)のビアク島の遺骨収集団に参加しました。
ビアク島へは二〇〇四年十二月に十五人で、セブ島には二〇〇六年一月に五人で行き、撮影してきたビデオを上映しました。ビアク島では兵力約一万一千人中一万七百余人が死亡というほぼ全滅状態。その内わずか百八十五柱が収集され、一九五六年「戦没日本人の碑」が日本政府によって建立されましたが、現地のユスフ・ルマロベンさんに管理を一切まかせきりで、日本政府は管理費用も出さないということです。
フィリピンは反米・反日感情が強く、セブ島もテロリストがいて危険な中を、私費で長く現地で活動している浅野氏に対する信頼に助けられて奥地まで入り、小さな子どもの頭蓋骨まである現場を撮影。ここでは移民した在留邦人の犠牲も多かったといいます。
政府は一九五〇年代、六〇年代、七〇年代と三次にわたる遺骨収集を実施しましたが、一九七七年以降は「情報に基づいて派遣」の方針でほぼ中止状態。現地にあるおびただしい遺骨は放置されたままです。
アジア太平洋戦争での死者は、軍人・軍属二百十万人、一般邦人三十万人、国内の戦災等七十万人、総計約三百十万人。この犠牲の上に平和憲法があると矢口さんは強調されました。
戦争体験を語る矢口仁也さん