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第1202号

2006年5月20日(土曜日)発行

「きずな深めて婦民新聞1200号」
 先人の知恵に新しい力を重ね

婦民新聞は四月二十日付で一二〇〇号を迎えました。婦人民主クラブ六十年の歴史の中のもっとも不幸な事件―一九七〇年の過激派による分裂攻撃で「婦人民主クラブ」の名称を暴力的に奪われながら、会員たちは創立の初志を引き継ぎ、組織再建に取り組んで、婦民新聞を発行しつづけてきました。隔月にエッセイと絵を寄せてくださる加賀市の色絵磁器画家・海部公子さんを訪ねました。婦民新聞をめぐるお話の聞き手は、第一号から現在まで編集にたずさわっている塩谷満枝さん。


色絵磁器画家海部(あまべ)公子さん


婦民新聞編集部塩谷(しおや)満枝さん

海部 そのループタイの木彫りはカラス天狗ですか。

塩谷 原稿の締切日になると「あんたはこれよりひどい顔をしているよ」と夫が買ってくれまして(笑)。

海部 さまざまな困難を乗り越えてきたのに婦民新聞は頭でっかちではなくて、生活者として違和感なく読めるところがいいですね。

塩谷 ありがとうございます。むずかしい問題をわかりやすく、そして深く、できればおもしろく書かなければと努力しているのですが、最近の問題は複雑で。

海部 創立の時からの会員は、もう少ないのでしょう。

塩谷 私が婦民の会員になったのは一九五九年ですが、五十年史の執筆者の一人になったので、婦民の歴史を正しくおさえようと思って、先輩の話を聞いたり調べたりしました。戦前の女性がどんなに無権利だったか、先輩たちがどれほど果敢にたたかって一つ一つの権利を獲得してきたかを知って感動しました。

海部 六十年というのは半世紀以上でしょう。戦後すぐ平和と女性解放を呼びかけた先人の志を、次々と若い人たちが引き継いで、新しいものを加えながら今日までつなげてきた歴史は誇っていいことですね。

海部 一九九五年から婦民にエッセイを書かせていただいていますが、伝えたいことを普遍性を持たせた文章にするのは難しくて。

塩谷 色彩や音楽を言葉に翻訳するのは難しいことですよね。でも捨てるべきものと残すべきものとを画然と分ける美術家としての物の見方には、胸に落ちるものがあって教えられます。

海部 婦民の皆さんに共感していただいて私も孤立無援ではないと心強く感じています。婦民の紙面から刺激を受けたり、開眼させられたりして、注意深く読むようになりました。私の師硲(はざま)伊之助の美術館をこの家の裏に建てたのですが、そこに婦民新聞を常に置いておき、来館者にすすめているんですよ。

海部 婦民新聞のおかげで女の問題が世の中にとってどんなに重大な位置にあるのか実感させられました。

 平和についてもよくよく考えるようになって、「平和」という文字を無感覚で見ることはできなくなりました。「平和」とは、重くて厳しい意味をはらんだ奥ゆきの深い言葉なのだと教えられました。

塩谷 女性史をみても、過去に婦人参政権など課題別の女性の運動体はありましたが、「平和」を行動目標にした女性団体は婦人民主クラブが最初なんです。

海部 私がすすめて婦民新聞の読者になった男性がいるんですよ。「みに・キネマ加賀」という名画を見る会の事務局長、佐藤良三さん。年に六回ほど映画の上映に奔走しています。大へんな読書家で新聞も各紙読み、婦民新聞の大ファンです。身になる新聞だ、文化的水準が高いといって。

塩谷 それは海部さんをはじめ、原稿をお寄せ下さっている方々のおかげです。

海部 私の色絵磁器の仕事も、例えばザルを作る仕事も、基本的には同じなんです。内側を通さないと本物にならないということで。

 私自身も職人だと思っていますが、物を作る職人文化が大切にされないことがとても気になっています。

 農業もそうですが、手で物を作る仕事が大事にされないと後継者もできません。仕事を通じて世の中の役に立ちたいという生き方の根本を投げ捨てる風潮が耐震偽装事件などを引き起こす大もとにあると思います。拝金主義ですね。

塩谷 新聞づくりも職人仕事です。客観的に書かなければなりませんが、みんなが幸福になるためにと心をこめるのは同じです。憲法や教育基本法の改悪問題、自衛隊のイラク派兵、核兵器廃絶や安保条約廃棄など今の政府の方針に反する行動はマスメディアが取り上げず、数万人の抗議集会も「なかった」ことにされています。私たちが書いて広めるしかないのです。

海部 私の家は我谷ダムで水没するはずだった古民家を移築したものです。かやぶきの合掌造りで「この家をもろうてくれんか」といわれて二軒、水没から救ったのですが、一軒は落雷で焼失しました。はりや柱はクリ材、今も美しくて堂々としているでしょう。

塩谷 住宅兼工房ですね。ここにいると先人の想いが伝わってくるようです。この建物一つを残すことで、長年積み重ねてきた先人の貴重な技術をたくさん残すことになるんですね。

海部 加賀にも九条の会ができて私も活動に参加していますが、平和と平等を守り抜いて、将来は「婦民新聞」を「富民新聞」にしてもらいたいですね。男性も仲間にして豊かになって。

塩谷 六十年の歴史と伝統を大切にしながら、新しいエネルギーも積み重ねて、平和と平等をもとめる世論の源泉として、婦民新聞の発行を継続していきたいと思っています。


海部さんの住宅兼工房(約350年前の民家を移築)


九谷色絵さつまいも図大鉢(海部公子作 径46・6p)

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