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第1196号

2006年3月10日(金曜日)発行

風琴
「国のカタチ」

 今朝からお汁粉を仕立てている。お汁粉にはこの季節この日にこしらえて食べるという特別の決まりはない(鏡開きがその日か)みたいだが、やはり寒い季節に適う嬉しい甘味だ。丁度小豆づくりの名手から送られてきた光りかがやくような新豆がある。それでコトコト煮はじめた。上出来の豆はたちまちやわらかくなる。和三盆を奮発してまろやかな甘さを狙う。三時のおやつどきまで少々やすませておこう。

 という次第で汁粉の世話のあとはこの原稿だ。何か心にもからだにもいいものを……と探すうち雑誌「広告批評」'062月号の特集「この国のこれからのカタチ―憲法前文のイミ」をご紹介しようと決めた。もしお近くの書店に置いてあったらすぐにでもお手におとり下さい。知られているヒト、そうでもないヒト、まことに多彩ないまのこの世間を生きる男女老若六十五人の正直な声音がたっぷりもりこまれている。

 自民党は結党五十年を期して改憲という裏切り行為を平然と正義づらして強行しようとしている。それに対する怒りの反撃はホリエモン非難にくらべてより大きいとは思えない状況に不安がつのるのは私だけか。それはともかく「広告批評」に集まった声である。

 「これからも戦争をしない国であること。自衛隊が自衛軍になったら、日本の国土が戦場にならないわけはない。これからの日本のカタチはまず現行憲法を守ること。それが土台。これからの基礎」(大橋歩・デザイナー)「これからの日本国に望ましいのは、戦争や死刑で人を『殺さず、殺されない』政府を作ることです。みんながその気になれば、できそうなことです」(加藤周一・評論家)「21世紀を創造できるのは時代遅れの武力ではありません。日本のみならず世界が今、必要としているのは、世界が変化したことを認識できる知恵です。平和も民主主義も、銃口からは生まれません」(ジャン・ユンカーマン・映画監督)「なぜ、かくも無神経で、人権を侵す憲法草案≠つくったのか。(中略)私は、護憲ではないが、このような改憲には断固反対である」(田原総一郎・ジャーナリスト)「何より米が大事。自給を忘れた国は必ず滅びる」(野坂昭如・作家)

 荒川静香さんの氷上の舞いに純粋な美≠見、心を洗われたが、この特集の一語一語にひそむ真情のみなぎりに私も燃えた。私はひとりではない。心ほぐれれば汁粉もうまいだろう。

増田れい子(ジャーナリスト)

おんなたちの肖像
愛と思想の歩み(49)

「地の果はてまで」23歳の門出 吉屋信子

 各地の郡長などを歴任した父の、新潟の官舎で吉屋信子(一八九六〜一九七二)は生まれた。七男一女の五番め、山口藩士の出の父母の封建的家風のなか、信子は夢みがちな少女として孤独な世界を築いた。父や兄の横暴が信子に父権社会への嫌悪を生んだ。

 栃木の真岡小学校に入学の頃、父は郡長として足尾鉱毒事件に直面、勅令の下、強制執行にあたった。

 信子は小学三年頃から作文が得意で、高女在学中から少女雑誌に投稿し、懸賞に当選もした。一九一四(大正三)年、十八歳の信子は帝大生であった三兄を頼り上京、童話作家として活動した。一六年、投稿した「鈴蘭」(「少女画報」一六年七月)が好評で、八年連載した五十二篇の「花物語」は少女小説の名作となった。どの物語も、女性が魂のある人間として女の友情をはぐくみ、豊かに生きる姿で少女たちを励ました。

 一九年、YWCAの寄宿舎で出会った女子英学塾に通う親友のすすめで大阪朝日の懸賞小説募集を知り、北海道に在職の兄の家で一夏を送り、「地の果まで」六百枚を書き、一位当選した(二〇年一〜六月連載)。

 両親を早く亡くし、叔父夫婦の世話になる三姉弟をめぐる物語である。家の再興を弟に託し、「戦いのない生涯なんか」と新しい女の気力をみなぎらせる二十歳の緑は英学塾の寄宿生。歌劇が好きで心優しい弟、麟一は姉の野心についていけない。書生となり受験に向かうが出戻りの美しい令嬢にピアノの手ほどきを受け、愛される。親に強いられた結婚を脱し、年下の麟一への恋に生きようという彼女をその長兄夫婦が応援する。身体が弱く、伊豆で酔生夢死、無為の生活にいた夫婦は妹との生き直しを決意し、真の愛を誓う。

 「今日からは、地の果までも伴うて行く妻でございます」「地の果までも、共に行こう、人間のために何かをしよう」

 「現代は社会的伝習から、軍国的偏見から、宗教的拘束から我々は解放さるべきである」と説く若い神学校生。会社と集団で交渉し、生活擁護の要求を貫き、「時勢のおかげ」と喜ぶ義兄。北国での姉の出産と死にかけつけた叔父夫婦も人間の心に気づく。人々は「この地に生きるものはみな兄弟」と、違いを認めあう。大正という日本の青春における「家庭生活ならびに心的革命」が、人物像も克明に表現された。二十三歳の信子は、この受賞に嬉しいより、一生の責任を感じたという。

 (近代女性思想史研究者)

山本千恵

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