主張・見解
「平和を手離さない」をスローガンに
婦民新聞第1326号(2010年3月10日発行)より
「わたしたちは平和を手離さない」 これは婦人民主クラブ創設者の一人、宮本百合子の評論のタイトルですが、今は婦民のスローガンになっています。敗戦の翌年三月に結成され今年六十四年目を迎える婦民は平和の危機には敏感でした。一九五四年三月一日、太平洋ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験で第五福竜丸など漁船八百五十六隻が被曝。婦民は直ちに水爆実験反対の署名を開始し、この運動が翌年、日本母親大会、原水禁世界大会開催へと大きく結実しました。
原子兵器禁止の署名運動は、これが最初ではありません。一九五〇年三月十九日、平和擁護世界大会委員会はストックホルム・アピールを発表、世界に賛同署名を呼びかけました。当時アメリカとソ連は、国連総会の原子兵器禁止・廃絶の決議を無視して原爆の開発競争をしていました。アピールは原子兵器の絶対禁止、そのための国際管理、原子兵器を使った政府は戦争犯罪人と訴えていました。世界で五億集まったこの署名が朝鮮戦争で原爆を使おうとしたアメリカの手をおさえました。占領下の弾圧のなか日本も「平和投票」と呼んで署名に取り組み、特に婦民会員は全国各地で警官に追われながらがんばって集めました。
被爆者の黒川万千代さんは「これこそ広島の心」と警官の寄りつかない結核病院やハンセン病療養所で署名を集めました。このとき婦民が集めた「平和投票」は三万を超えました。
今は核兵器廃絶署名も集めやすい時代です。五月にニューヨークへ派遣する婦民の代表に、たくさんの署名を託しましょう。