主張・見解
声明
婦民新聞第1220号(2006年11月30日発行)より
憲法を守りぬく決意こめ名称回復を宣言します
本日、私たちは全国大会において、団体名を創立時の名称「婦人民主クラブ」とすることを決定いたしました。
婦人民主クラブは敗戦後間もない一九四六年三月、平和・民主・女性の地位向上を目標に結成し、同年十一月に公布された日本国憲法とともに、多くの女性たちの希望と期待を担って歩みだしました。
日本国憲法は、明治以来七十年余侵略戦争を続けてきた日本が、二度と戦争をしない平和で民主的な文化国家となることを内外に宣言しました。女性の人権や福祉も法的に保障されましたが、一つひとつの権利を現実のものとするために、婦人民主クラブはくらしの中から声をあげ、さまざまな運動を創り出して、憲法の理念を定着、発展させる努力をしてきました。
また、戦後最も早く出発した民主団体として、多くの平和運動、女性運動、子どもを守る運動にも当初からかかわり、その発展のためにも力をつくしてきました。
一九六〇年の安保闘争以後、いろいろな運動の場で分裂策動がひきおこされましたが、婦人民主クラブの中にも過激派暴力集団と行動をともにしようと主張する幹部があらわれました。運動方針をめぐって対立が生じ、一九七〇年、過激派と同調する幹部らは意見を異にする会員に対し、規約に背く除名・支部解散を暴力的に強行して組織を分裂させました。
民主主義をめざす団体としてあるまじき暴挙に、組織再建を決意した私たちは再建連絡会に結集して婦人民主クラブ本来の活動を続けてきました。以来十六年の活動によって質量ともに組織を充実させ、一九八六年、連絡会体制を解き、単一組織として再発足しました。「婦人民主クラブ(再建)」の名は奪われたままでしたから、私たちは混同を避けるために今日まで「婦人民主クラブ」の名で活動してきました。
しかし「婦人民主クラブ」を名乗ってきた団体は「ふぇみん婦人民主クラブ」と改称し、二〇〇六年三月には内閣府男女共同参画室にもこの名で登録しています。また、一九八四年に、そこからさらに再分裂した集団は「婦人民主クラブ全国協議会」と称しており、私たちが不当に奪われた「婦人民主クラブ」の名を取り戻すべきときがきました。
私たちは、戦後民主主義を育て上げてきた輝かしい実績を持つ婦人民主クラブの本流として、その歴史と名称を引き継ぐことを話し合い、確認しました。
婦人民主クラブが、多くの人々、団体とともに、その内容を豊かに実らせ、平和運動の砦としてきた憲法が危機にある今、私たちは先輩たちの志をうけついで憲法を守りぬく活動を進めていくことを改めて決意し、名称の回復をここに宣言します。
二〇〇六年十一月十二日
婦人民主クラブ二〇〇六年全国大会