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第1197号

2006年3月20日(月曜日)発行

婦人民主クラブ創立60周年記念
台湾へ未来をひらく歴史と交流の旅

たっぷり見て、学んで、考えて侵略はだめ、他国への従属は悲劇と改めて確認

故宮博物院をバックに全員そろって(2月19日)

 婦人民主クラブでは、二月十八日から二十一日までの日程で、創立六十周年記念「未来をひらく歴史と交流の旅」台湾旅行を実施しました。台湾の事情に詳しい川崎典子さん(藤沢支部)を講師に事前学習をしてのぞみました。近代日本が初めて海外出兵した国、初めて植民地化して五十年も居座った国――たった四日間の旅でしたが、文字通り「百聞は一見にしかず」、日本の国のアジアでの位置が見えてくるような旅でした。「和気あいあい、勉強あり、笑いあり、考えることあり、満足でした」という感想が寄せられ、仲間の輪もひろがりました。

 婦人民主クラブ創立六十周年、台湾四日間の旅は、内容の濃い、いい旅でした。十八日午後、台北空港到着。関西空港から五名、広島空港から二名、合計三十七名が合流。一行の中には再会を喜び合う姿も。

 早速バスで市内見学。日本人と変わらない顔や漢字の看板、東京の下町のような市内を走っていると、ふと台湾に降り立ったことを忘れてしまうようでした。しかし、ここもアジア特有の三、四人乗りのオートバイが主要な交通手段で、色とりどりの柄物のマスクをして元気に走っていました。

 まず、二・二八紀念館へ。日本最初の植民地事業への意欲と威圧を体現して、今も威張っている旧台湾総督府の建物を通り過ぎると、もう目的地です。

*2・28紀念館とは

 小雨の和平公園の緑の中に、こじんまりと建つ紀念館は、日本の占領政策の一端を担ったという元ラジオ局、落ち着いた雰囲気の所でした。

 二・二八事件は、一九四七年二月二十八日に端を発した反国民党蜂起。国民党の残虐な粛清によって、わずか一か月の間に二万八千人ともいわれる人が犠牲になりました。紀念館には事件の資料とともに日本統治下の資料が多く、戦前と戦後の台湾百年の歴史の記録を見ることができました。

 展示物の中に、日の丸の旗に武運長久と書かれた日本名の寄せ書きがありました。日本名に「創氏改名」させられ、日本の戦争にかり出された人のものでした。「国語家庭」という表札のある家は、日本語がよくしゃべれる家のことで、配給がたくさん貰えたと説明書きがありました。

 たっぷりの台湾料理、故宮博物院の宝物、魅力的な夜市、伝統芸能、そして濃い緑に包まれるように建つ鮮やかな色の廟など観光の楽しみを存分に味わいました。翌日は旅のメイン、霧社事件の地へ向かいます。

*霧社事件の地を訪ね

 列車で二時間、台中からさらにバスで二時間、山深く原住民の暮らす霧社があります。訪ねたのは、日本軍の制圧後、生き残った原住民を強制移住させて作った村、川中島です。

 霧社事件記念館を案内してくださったのは、事件の英雄の子孫にあたるという学芸員の高さん。いかにも精悍な大きな方です。広々とした早苗の田んぼの一軒家が高さんのお宅で、食堂はブーゲンビリアの咲く庭。昼食は香辛料のきいた郷土食でガーデンパーティー風に。日本からの見学者も人数の多さも初めてと、高さんの対応にも熱意がこもっていました。

 日本は台湾を手に入れた当初から、頻発する抵抗を制圧するのに困難を極め、ことに土匪・ゲリラとの戦いに明け暮れたといわれます。

 霧社事件は、一九三〇年十月二十七日、日本の植民地支配に反発した先住民族が武力で蜂起。日本軍は民族運動が広がることを恐れ、徹底して報復・鎮圧。四千人以上の軍隊、警官を動員し、機関銃や毒ガスまで使用。千二百名の先住民のうち、約九百名を殺りくしたといいます。

 現地添乗員の簡さんが、子どものころから歌っているという、何ともいえない哀しい台湾民謡を、日本語と台湾語で歌ってくれました。台湾の人々の苦難と歴史に心が痛みました。しかも外圧が原因ですから本当に理不尽です。

霧社抗日紀念碑
日本の過酷な統治に対して一九三〇年、高山族が武装蜂起。霧社は台湾の真ん中に位置し、事件が起きた学校跡なども。

*景勝の地 「日月潭」

 旅の最後の夜は、名高い景勝の地、日月潭(たん)。海抜七百五十b、周囲を二千b級の山々に囲まれた澄み切った湖です。湖畔のロッジ風の高級ホテル。仲間の賑やかな交歓会。遠く水辺にお寺や廟のイルミネーションが美しく、幻想の世界です。

 統一と独立、米・中・台関係など、世界の動きと連動する台湾のニュースが身近になったのも旅のおかげです。

 「侵略はだめ、戦争はだめ、他国への従属は悲劇」と、あらためて確認することができたのが、今回の旅の一番の収穫でした。

左京支部 佐藤京子

京劇も楽しみました(京劇出演者の支度風景)

日本人として歴史と向き合う豊かな思い出もたっぷり

 二月十八日、まだ寒い成田・関西・広島の各空港を発って午後の早い時間に台北に到着。一、二日は台北市内の見学。故宮博物院や二・二八紀念館の見学、自由行動では世界一のノッポビル、神社巡りなどをしました。

 台湾は食事も楽しみの一つ。レストランで「小肉包」を食べ、夜市を見学し、さらに足ツボマッサージに行った人もあり、疲れも知らずに台湾の観光と文化を満喫しました。

 三日目は上天気、列車で台中へ向かいます。さすがに南の国、暑い日となりました。

 今回の旅行の大きな目的の一つは、今まであまり語られてこなかった、日本の植民地支配下で武力弾圧された地域の訪問。日本人ツアーでは初めてという「霧社事件」の記念館を見学、事件関係者の子孫から説明を受けました。

 こうした歴史の事実にきちんと向き合う、そのことなしに先の大戦を清算してはいけないと、あらためて感じました。

 その夜は「日月潭」という山間の湖のほとりに泊まり、思いっきり癒されながらも、心の中で「憲法九条の重さ」をずっしりとかみしめていたのは私だけではなかったでしょう。

 欲張ったメニューの旅行なのに、疲れることもなく、ゆったりとした気分で全員元気に帰ってきました。

 年齢を忘れて思いきり楽しみ、思い出も、お土産もたっぷりな旅でした。

小金井支部 福島朋子

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