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私たちのあゆみ

創立のころ

 「日本中が、森閑として声をのんでいる間に、
歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」(『播州平野』より)

 作家の宮本百合子は、1945年8月15日正午の昭和天皇のラジオ放送によって
日本の無条件降伏を知らされたときの様子をこう書いています。
婦人民主クラブは、この年の秋から準備され、翌1946年3月16日に創立されました。
設立呼びかけ人は、宮本百合子をはじめ25人の各分野で活躍する女性たちでした。

 1946年4月、日本の女性は初めて選挙権を行使して政治に参加しました。
11月には日本国憲法が公布されました。
憲法の諸条項は、
平和とくらしを守り、子どもの幸せと女性の地位向上をめざす婦人民主クラブ
を励ますものでした。
何よりも「戦争放棄」の条項は大きな喜びでした。

 敗戦直後の、食べ物も着る物もない中での活動は、
食料配給の確保、内職の斡旋、洋裁講習、避妊指導などでした。

平和と暮らしを守る

 1950年1月、マッカーサー連合国軍最高司令官は
「日本国憲法は自衛の権利を否定しない」と声明。日本の再軍備への道を開きました。
トルーマン米国大統領は水爆製造の命令を出しました。
緊迫する東西対立の中で、平和擁護世界大会委員会は、 原子兵器禁止と国際管理を求める
ストックホルム・アピールを発表。賛同署名を世界に呼びかけました。
占領下の弾圧も予想される中、婦民はこの署名に取り組み、
アメリカが朝鮮戦争で原爆を使用することを許しませんでした。

 1954年3月のアメリカによる太平洋ビキニ環礁での水爆実験に、婦民はいち早く
「原子戦争から子どもを守ろう」を合言葉に原水爆禁止を求める署名運動を開始。
翌1955年6月の日本母親大会、8月の原水禁世界大会の開催には、
成功のために献身的に働きました。

 新聞代などの物価値上げ反対や保育所づくり、民主教育を守る運動、
小児マヒ撲滅のための生ワクチン緊急輸入運動などのほか、
さまざまな文化的要求に応えて、講演会、映画会、音楽会、子ども会などを行いました。

分裂策動を超えて

 占領状態を終わらせるために、サンフランシスコ平和条約が結ばれました(1951年)。
同時に締結された日米安全保障条約をさらに改悪し、
日本に再軍備を進めようとする動きが強まりました。
そのなかで1959年から60年にかけて
安保条約改定に反対する歴史的な国民大運動が起きました。
婦民も連日、国会包囲のデモに参加しました。
しかし、この60年安保闘争をめぐって、全国的な統一行動を評価する意見と、
条約批准を阻止できず敗北したとする意見が婦民の中にも生まれました。

 後者の幹部らは、過激派暴力集団を支援し、
ついに1970年6月、第24回全国大会に過激派女子学生らを集めてバリケードを築かせ、
意見の異なる代議員の入場を妨害、力づくで組織を分裂させました。

 「婦人民主クラブ」の名称を奪われ、本部建物も機関紙「婦人民主新聞」も奪われて
不当に除名、支部解散させられた22の支部は、
「私たちこそ婦民の本流。」と直ちに「婦人民主クラブ再建連絡会」をたちあげ、
機関紙「婦民新聞」を発刊しました。

平和を手離さず

 再建連絡会は活動を続け全国で会員を増やし、共同行動にも積極的に参加して
連帯を強め、組織を固めて1986年10月、再建達成全国大会を開催しました。
連絡会体制を解いて、全国単一組織として「婦人民主クラブ(再建)」と名称をかえました。
さらに2006年11月、婦民創立60周年を期して
「婦人民主クラブ」と正式名称を回復しました。

 分裂策動に狂奔した側は、1984年に再分裂し、
それぞれ「ふぇみん婦人民主クラブ」「婦人民主クラブ全国協議会」と名乗っています。

 私たちは「婦人民主クラブ」創立の初心を失わず、趣意書、綱領を原点にすえて
「私たちは平和を手離さない」を合言葉に
平和やくらし、子どもや女性の権利を守る活動を続けています。
いくつかの専門部を設けて学習を深め行動を起こしています。
また全国の支部でも
会員の要求に根ざした学習講座やコンサート、文化活動などを行っています。

婦人民主クラブ趣意書

 これまで、私たち日本の女性は、何と散り散り、ばらばらな暮らしかたをしてきたことでしょう。戦争の間、官製の婦人団体は、戦争目的を遂げるために、つよい力を発揮してあらゆる婦人を各方面へ動員しました。

 農村で、工場で、婦人は男子に優るとも劣らぬ国の力で女子として、わが身を尽して働かされました。けれども、その動力となって軍事目的に協力したこれらの婦人団体は、終戦後の今日、破壊された食糧事情、混乱している経済事情によって日本の婦人が日夜名状しがたい困難を負うているに当たって、どのような実際の助力を計画しているでしょうか。

 戦時中婦人を駆りたてて戦力の一部としたすべての婦人団体は、最もその責任を明らかにしなければならない今、膨大な数に達する婦人の離職者、寡婦、戦災孤児などの不幸な生存の危機を救う、どんな誠意も実力も喪っております。新聞は、大都市における婦女子の犯罪が日ましに増大しつつあることを警告しています。

 私たち日本の婦人は、これらすべての事実を決して他人事として感じておりません。新しい日本が、より人間らしい世界正義の道に立って進んでゆくために、苦難を経験しつつある日本婦人の社会的成長の一つの目標として婦人参政権も認められたとき、私たちは、これからこそ、重苦しい過去のきずなをふりはらって、思慮と勇気とに満ち、女らしい聡さにみちて、明日の明るい日本を建設するために扶け合わなければなりません。

 物をいう家畜のように群をなして追い立てられ、疲れ果てた体と心とを休めるためには、小さい屋根の下の灯と一つの炉ばたしかもたなかったこれまでの生活は、日本の婦人にとって余りみじめではなかったでしょうか。私たちは、婦人の生活上の力量がこの社会のより幸福な組み立てのために、どれほど重大な価値をもっているかを自覚しなければなりません。その自覚に立って、社会全体の向上というひろい見地から婦人共通の福祉のために配慮し、協働し、それを実現して行かなければなりません。民主的な社会の建設ということの実体はここにこそあると思われます。精神においても肉体においても、一人一人の日本婦人のうちに隠されている能力の、最大の可能が導きだされなければなりません。

 生きることを心から愛する私たち日本の婦人、努力を惜しまず、平和と幸福との社会的な保証を熱望する私たち日本婦人は、率直にそれらの真情を吐露しながら、世界の歩みとともに自分たちの実力を高め、希望を実現してゆく方法を学び、その忍耐づよさに最後の輝きを添える社会的な積極性を身につけようと願っております。

 婦人民主クラブは、そういう希望の婦人たちの集まりとして創立されます。最初の発端は数人の間でまとめられたにしろ、これは日本全国のすべての婦人たちのものです。日本全国のすべての婦人が、その苦痛の解決のために、希望の具体化のために、よろこばしい諸成果をともどもに愉しむために、生き生きと運営してゆくべき組織の一つです。確固として、正しく明るく、そして温かいこの社会の世論の一つの源泉ともなりたいものです。婦人民主クラブは果てしない未来をもって、幾千万の日本婦人の善意の海の上に船出いたします。

(1946年1月決定  起草 宮本百合子)

井上 松子     土井美代子     渡辺 道子     加藤 静枝     吉見 静江
櫛田ふき子     山室 民子     山本 杉     藤川 栄子     赤松 常子
佐多 稲子     宮本百合子     関  鑑子     羽仁 説子     渡辺多恵子
鷲沼登美枝     吉田玉の緒     谷野 せつ     山室 善子     山本 安英
松岡 洋子     小池 初枝     厚木 たか     定方 亀代     三岸 節子

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